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【深入りできない怖い話・2010年の段階でも消され・・?】

p1010485_convert_20100629171848御巣鷹山三角慰霊塔

「日本で核兵器は製造できないの?」と尋ねると、従兄はこう答えました。
「できないも何も、アメリカだろうとフランスだろうと、日本の技術がないと核兵器は製造できないよ。日本がその気になれば二ヶ月で製造できる。」

核兵器を積んだミサイルを飛ばすためには、ICチップにせよ半導体にせよ、日本製の部品が必要なのです。アメリカの対テロ戦争にも使用されているステルス機にも使われる、レーダーに捉えにくい塗料は日本でしかできないし、小松製作所が特許を持っているパワーショベルやブルドーザーは発射台などの施設を作る際に不可欠なもの。ちなみに可動式の発射台に使われる、1メートル当たり80トンの荷重に耐えれるレールは日本でしか作れません。

あとはプル トニウムですが、その入手も難しいことではありません。一番難しいのは、核兵器を製造することよりも、その事実を隠すこと。そして事実、日本は核兵器を製造し、その事実を隠すために過去に何度も大きな犠牲をはらってきました。

一連の事件を目撃した地元の人々が、何度も入山して航空機の残骸を拾い集め、25年以上にわたって調査を続けた結果、見つかったのは123便の機体だけではなく、

米海兵隊所属のプロペラ機RC-130の着陸装置
地対空ミサイル・レッドアイの弾頭部分
黒い塗装で偽装した米空軍所属F-106の機体破片など、

膨大な量の残骸だったのです。

JAL-123便が撃ち落された主な理由は、アメリカが誘導した円高に反対していた関西財界の大物4人を暗殺するためでした。1985年8月、アメリカは日本に対して「円高にしてほしい」と申し入れましたが、関西財界の大物4人が強く反対し、再度の話し合いでも物別れに終わりました。しかしこの事件には、実はほかにも理由がありました。実は、123便は「核」を積んでいたというのです。国内で製造した核を積んで大阪に運び、大阪港からどこかへ積み出す予定であったというのです。

4cd40108-skinai機内から撮影された追跡飛行物体     
(123便 機内から撮影された追跡飛行物体)



登山者らの目撃情報などから謀略の一端が想像されます。登山者らが墜落現場近くに入った午前2時ごろには、助けを求める人々の声が多数聞こえていたそうです。しかしながら現場は険しい斜面の場所でけもの道さえなく、なかなか近づくことができません。そのうちヘリコプターが飛んできて、何かを撒いたとたん、それまで聞こえていたうめき声や物音がピタッとやみ、あたり一帯に静寂が訪れたそうです。

このヘ リコプターの行動について、生存者を残さないために、現場にフッ化ホウ素を撒いたのではないかと、複数の専門家たちが分析しています。
その後、事故を目撃 した地元の有志たちが生存者を救うべく入山しようとすると、すでに自衛隊がバリケードを築いており、近づくことができなかったと証言しています。

なぜ最も近くにいた地元住民より、自衛隊が先に現場に到着していたのか。それが事故ではなく撃ち落したものだということを、如実に物語っています。おそらくその時すでに、核兵器の残骸などの「証拠品」は回収され闇に葬られたのでしょう。(この記事、最後、宇宙人話になっちゃうのよね・・。(/ω\))
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/jal123-a4a8.html

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