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【日航機墜落事故の憶測】

070823123 ファイアビー 絵

① 素人でも分かる嘘を、国家ぐるみで隠蔽。
② 軍事演習中、核兵器使用の痕跡、尋常ならざる破壊跡、容赦ない乗客殺害部隊。
③ メディア総動員による撹乱。大衆を真実から遠ざける、超国家的権力の存在。
④ 以後の世界的変化。

事件の日、日米合同軍事演習が行われた。相模湾。伊豆沖で当時の最新鋭護衛艦「まつゆき」を中心に艦船、潜水艦が出動。空では茨城県百里基地所 属の航空自衛隊戦闘機、また航空自衛隊や在日米軍の電子戦機が待機。はるか上空では米軍の軍事衛星が演習を監視。陸では、ゲリラ訓練場となっている御巣鷹 山とその周辺に、特殊部隊が集結。

18:12 JAL123便は羽田を離陸。12分近く経過したとき、相模湾上空で123便のクルーは、右前方から接近する奇怪な飛行物体を発見。
コックピットに緊張感 が走る。乗客も気付いていた。
「あれは何だ?」「ミサイルのようだ」「こっちに向かってくる、危ない!」

18:24:35 ドーンという衝撃音と共に何かが123便の尾翼部に激突。座席中央部分の最後部から5番目に座っていた小川哲氏(当時41歳)はその飛行物体を接近段階から撮影、後に事故現場で発見され現像。デジタル解析の結果、オレンジ色の物体と判明。(無人標的機「ファイア・ビー」か?)

18:56過ぎ、123便はレーダーから消える。しかし、場所についての報道は二転三転し、123便の行方は特定されない。翌日明け方になるまで救助活動が開始されず。

墜落から14時間後の午前8時半、長野県警機 動隊員2名がヘリコプターから現場付近に降下。その後、陸自空挺団の隊員が現場に降下して救難活動を開始。陸路から、上野村消防団、 群馬県警機動隊、警視庁機動隊、陸上自衛隊、多野藤岡広域消防本部藤岡消防署の救助隊が現場に到着。ようやく救難活動が開始される。

ピカッと雷光のように走った閃光、黒いキノコ雲が目撃されている。
東大地震研究所の微小地震計が、墜落時刻に異常振動を観測記録している。第一波は18:56:26、第二波は3秒後。これら二つの波は極めて微小な物。墜落の衝撃。

しかし18:56:31から観測された第三波は、約5秒間揺れ、その後も10秒近く揺れる大きなものだった。一体何だったのか?小型核爆弾の衝撃ではないか?

ミサイル使用の痕跡。 遺体散乱状況写真を見ると、123便の進行方向に対し、右側からミサイルと思しき爆発物が命中し、乗客・乗務員を左前方に吹っ飛ばしたことが分かる。

8 月13日04:00頃 墜落翌日まだ夜も明けぬ早朝、白バイを振り切って、長野県からオフロードバイクで駆けつけた若者達2人。生存者の呻き声が谷にコダマし、響き渡っているのをはっきりと聴いた。およそ50人と推測。指が欠損しただけの、比較的軽症の人も。この人は助かる、と確信。既に到着していた 100名くらいの自衛隊員。片手に抜き身の大型アーミーナイフ、目には暗視ゴーグル、靴は急峻な山での作業に適した短靴。1時間後、次の部隊が続々 と到着。後から来た部隊は山で歩きにくいブーツ着用。

しかし、彼等は一向に生存者の手当をしようとはしない。大きな袋に何かを集めて入れ る作業を黙々と続け、上空でヘリコプターがホバリングしながら集めた袋を回収するのみ。何故だ!?何故この部隊は救助をしない!?目の前で多くの人々が手 当を待っているというのに!!人命より優先される回収物とは、一体何だ!?

話を墜落の日の翌朝に戻す。日が昇ってからも奇怪な事が起こる。公式に生存者とされる4人の女性以外に、3名乃至4名の生存者が目撃されている。
生存4人の現場からさらに 200mの急斜面を登ったところにいた朝日新聞記者が「今さらに3人の生存者救出!2人は担架に乗せられているが、1人は担架が必要無いほど元気な女の子で、救助隊員に抱かれている。」と無線で報告。

『一人の女の子は、担架に乗らないほど元気で、救助隊員に抱かれている。
他の二人は毛布をかぶされているため、男女の別やケガの程度ははっきりしない』
と元気で無事救出された女の子のことを報告。
だが、その後女の子はどうなったのか?突然存在が消えてしまう。

さらに、7歳~8歳くらいの小さな男の子が「走り回っている」ところを自衛隊員に発見されている。報告は無線でただちに流された。「男の子発見」のニュースは流れた。フジテレビの「ニュースレポート」では、『現場は惨憺たる状況です。まもなく、担架に乗せられた七、八歳の少年が運ばれてきます……。』と生中継。しかし、この「男の子」に関する情報が途絶。以後、まるで神隠しにでも遭ったように、その後の「7歳~8歳くらいの小さな男の子」の消息は杳として知れない。

このオフロードバイクで駆けつけた若者の一人は24年間海外勤務にあって真実を語る機会が無かったが、2010年5月16日、江戸東京博物館にて、その日目 撃したことの証言を依頼される。

ところが、講演の2週間前、アクシデント発生。車の後輪がバースト。
あわや死亡事故につながる緊急事態を咄嗟の運転テク ニックで回避する。損傷部分を検証した結果、軍関係者しか持たない、熱戦銃によるものと判明。「123便事件の真実について、これ以上語るのを止めよ」と いうメッセージが彼に送られる。幸いにも、かろうじて講演会当日は会場に無事駆けつけ、証言することができた。

メディアによる撹乱。NHKを始め、民放各局は事故直後からわざと偽の墜落地点情報を流して、救助隊の派遣を遅らせた。墜落現場には米軍ヘリが既に到着していた。


「ニュース・ステーション」は、日本側の都合による米軍救援活動中止要 請が事実であることを報道しています。米C-130は午後7時30分に墜落場所を特定、20分後には横田基地に正確な墜落場所を 知らせているのです。もちろん日本側にもその時点で伝えられています。

世界に起こった変化。日航123便墜落事故の翌月22日、歴史的なプラザ合意から円ドル為替レートが250円/ドル代から1年後には一気に120円/ドル代に円が急騰。
急 激な円高を受けて、以降日本経済は輸出企業を中心に大打撃を被る。そして日銀の窓口指導による、バブル創出、崩壊、金融ビッグバンによるM&A等 で外資ハゲタカファンドの進出、郵政民営化、莫大な国富の喪失と続いて行く。これらは決して偶然では無い。

こ の墜落現場で「生き残った罪も無い乗客、乗務員にとどめを刺した者達」は恐らく国籍が日本では無い、と信じたい。来るべき極東有事を演出するために特別訓 練された、日本の自衛隊を偽装した部隊の可能性が高いのでは?任務遂行のみに全神経を集中する訓練と共に、部隊を編成するに当たって「日本人を嫌悪する教 育」を受けた者達が選ばれたのではないか?

123便の乗客、乗務員はこの者達の手にかけられ、処分された。現場で何が起こっているのか、理解している人はほとんどいな かったであろう。彼等は無残にも、毒ガスで息の根を止められたり、火炎放射器で生きたまま焼かれた。

当 時、遺体の歯形で本人確認を行った大國医師に、青山さん(元日航客室乗務員)は何度もインタビューを試み ている。「私は群馬県警察医として千体ほど焼死体を見てきたが、それでも歯は『すす』で黒くても、裏側や一部は白いままだし、骨もそこまで燃えていない。 なのに、あの事故の時は骨の奥まで炭化するほど燃えていた。…二度焼きしたような状況だ」。周囲の木々が幹の中までは燃えていないのに、遺体だけが骨の芯 まで焼かれているのはなぜか。群馬県の検視報告書において担当医が「二度焼き」という言葉を使ったことは、ただごとではない。

墜落現場へ救助に向ったと思われる警察の救助ヘリの残骸が見つ かっている。彼らも何者かによって撃ち落とされたか?

また、当日午後8時頃、TVのテロップで
「救助に向かおうとした自 衛隊員を別の自衛隊員が救助を阻止しようと射殺し、銃撃戦が起こった」との報道があったという。
事件の後で、勇気を持ち、真実を語って、自殺を装い殺され た自衛隊員もいる。

20数年経って、女性4人の生存者が見つかったスゲノ沢の上流で携帯用VXガス兵器(サリン同様、猛毒)らしき容器が発見される。瓶には微量の液体が残っていた。何重にもビニール袋で密封して持ち帰ったが、密封を解いた途端、運搬者2名は気分が悪くなり、数日間寝込んでしまった。

この事件は恐らく、地震兵器による東日本大震災、津波、核兵器による原発事故と本質でつながっていると思われる。

日本航空の経営を圧迫した大 きな要因に、911テロ事件、SARS等々の事件があるが、それらは全て国際金融寡頭勢力が起こしたものであった。そして今回取り上げたJAL123便撃 墜も。日本航空のトップと、その巨悪とのつながりを紐解けば、この事件の本質がみえてくるのではないだろうか?
http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/2010/08/123_0fc5.html
123便にはプルトニウムと、気象兵器の補助物質、ケムトレイル材料・毒ガス原料のテトラフルオロホウ素が積載されていた?↓
http://blog.livedoor.jp/ijn9266/archives/4276638.html

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