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日本人の抱擁性  原文


わが日本神州の国民は古来抱擁性に富んでいた。そして固の民族性にすこしの動揺をきたさなかったことは、世界の驚異とするところである。世界の文化をことごとく吸収して、同化し、精錬してさらにより以上美しき ものとして、さらにこれを世界に頒与するところに、日本人の生命があり、使命があるのである。

しかし横に世界文化を吸収してこれを精錬すればするほど、縦に民族性が深めらるべきはずだのに、現代の日本は外来文化の暴風に吹きつけられるほ ど、固有の民族性の特徴を喪いつつある状態は、あたかも根の枯れたる樹木にひとしいものである。日本人は日本人として、決して何者によっても冒されない、 天賦固有の文化的精神を持っておるはずである。それが外来文化の侵食によって、失われんとすることは、祖国の山河が黙視するに忍びざるところでなくてはな らぬ。

かくのごとき時に際して、天災地変が忽焉としておこり、国民に大なる警告と反省を促したことは、近代にはじまったことでなく、じつに建国二千五百 年の災変史の黙示するところの大真理である。近くは元和、寛永、慶安、元禄、宝永、天明、安政、大正に起こった大地震と、当時の世態人情との関係を回顧す るも、けだし思い半ばに過ぐるものがあるではないか。

さてわが国の記録に存するもののみにても、大小一千有余の震災を数えることができる。その中でももっとも大地震と称されておるものが百二十三回、鎌倉時代のごときは平均五年目ごとに大震災があったのである。覇府時代には大小三十六回の震災があった。

しかもわが国の発展が、いつもこれらの地震に負うところが多いのも、不思議な現象である。奈良が滅び京都が衰え、そして江戸が大いに興隆発展した 歴史の過程をたどってみれば、その間の消息がよくよくうかがわれる。全体わが国の文化そのものは、全く地震から咲きだした花のようにも思われる。天神天 祖、国祖神のわが国を見捨てたまわぬかぎり、国民の生活が固定し、腐敗堕落の極に達したたびごとに、地震の浄化が忽焉と見舞ってきて、一切の汚穢を洗浄す るのは、神国の神国たるゆえんである。

古語に曰う

「小人をして天下を治めしむれば天禄永く絶えん、国家混乱すれば天災地妖至る」

とあるのは自然と人生の一体たることを語ったものである。人間が堕落して奢侈淫逸に流れたとき、自然なる母は、その覚醒をうながすために、諸種の災害を降したもうのであって、しかも地震はその極罰である。

わが国に地震の多いのも神の寵児なるがゆえである。自然いな天神地祇の恩寵をこうむることの多いだけ、それだけにその恩寵に背いた時の懲罰は一層はげしい道理である。

もし地震が起こらなければ、人震が起こりてその忿怒を漏らすにいたる。近くは天草四郎や由比民部之助、大塩平八郎乃至西郷隆盛のごとき、皆この人震に属するものである。


出口王仁三郎著 月鏡 より 抜粋

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