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誰が善で誰が悪か?

クナト族もスサノヲ族にやられたかもしれないが、
スサノヲ族もヒムカ=アマテラス族にやられてる。
本当にクナトはスサノヲにやられたのだろうか?
スサ族とクナト族がやんわり連合した後で、
むしろ ヒムカヤマトに激しくやられた
ということは考えられないだろうか?

ヤマトを受け入れた時の感覚からすると、
スサノヲ族は戦闘民族というよりは「経済治世」を得意としていた
のではないかと思うのは身びいきというものだろうか?

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クナトの時代、山や谷の隅々まで治世が行き届いていたのだろうか?
大まかなところは抑えていたとしても、「殺せ奪え犯せ」の
不穏分子の団体やグループはいくつもあったのではないか?
戦国時代のように。

日本初の和歌といわれる「八雲神歌」をヘブライ語に当てはめると、
「女を犯してはいけない。ちゃんとルールを作ろう」という意味になると
言う話を聞いた。

素尊族が大和族に呑まれたのも同じように山の谷々に巣食う
蛮族や山賊がまだまだ存在し、一度日本を統一して
共有意識の確立をする必要が歴史上、大神様の目から見てもあったのだ
という意見もある。なるほど、と思う。

武術に興味のない人には意味がないかもしれないが、
「やられた」ということは「武」の世界では恥辱であって、
それを宣言し続けるのは執着と怨念しか生み出さないので
適度なところで許すことも必要かと思う。
拳王様は膝を地に着くことすら「恥辱!」とノタマワレマシタ。

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天地の法則からして、殺ったからやられる。という因果律があると言われる。
それでも やられるときには大神様の慈愛により、
やったことの十分の一くらいになって戻ってくるという。

だから、嫌なことがあった時には(この程度で済んで)有難うございます
と感謝できるのが大人(タイジン)だと、各地の源宗教では伝えている。
祈ること、善言美詩の神言を唱えることで、
さらに罪汚れの借財は減ってゆき、大難は小難に、
小難は無難に祭り変えて頂けるという。

キリスト様が超無実の罪で当時のメーソンズに磔刑になったことさえも
因がある と神話には表現されている。

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本当に前世も、前々世も太古の昔から純粋無垢であれば、
「殺される因縁は発生しない」という考えを基本に生きていくのが、
学ぶほどに頭を低くできる神様にまつろう民の最良の方法だと思う。

某国のようにいつまでも いいアンプ 発言したり、
ないとも言われる虐殺を公布宣伝して、交渉のカードに、
もしくは現金にしようとするのはあまり美しいとは言えないと思う。

極論かもしれないけど、武道も宗教の極意も
「カルマの深い私の罪を減らすために、殺ってくれて あなた様ありがとう。」
と言えるのが究極だという話です。

とはいえ、殺った側からそんなこと言われたら なお腹が立つこともあると思うので、
過ちがあったとしたら申し訳ないとしか言えませんが。

現世において私は誰も殺してませんので。
今後も「殺すことは決してするまい」と強く思ってるので、
過去世では殺してる気がする。(T▽T) m(_ _)m

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【蛇足】
穢れた鬼畜米英を討つためにイスラム国に参加表明したら
処罰されるって初めて知りました。Σ(゚д゚lll)

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