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【三神族】 クナト・スサノヲ・アマテラス

スサノヲびいきの私としては出雲の歴史が気になるのでちょろっと調べてみた。
クナト神族が渡来後、スサノヲ神族が広義・大出雲地方を平定。
この戦いが八俣大蛇退治の現界顕現版か。
スサノヲ没後、同族の大国主の時代に天照神族が出雲平定。
・・・三神族の吸収合併の歴史。

はるかシュメールやエジプトユダヤ時代から絡まり続けた因縁のもつれを
薙ぎ払うのも草薙の剣。色々あったけど、もとはひとつの神様から別れた兄弟神族。
みんな仲良く 和合の時代を迎えられるよう、
各地で、みんなで、神まつりができたら よかと ですね。

でもクナトの前にもカタカムナ神族とか、いろいろあるんじゃないの?
縄文~弥生革命期にカタカムナ族も日向・天照族に
飲み込まれていったようだから同時代の別の地域なんだろうか?
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「クナトの大神」は、「日本書紀」では「岐神」として登場し、
「古事記」では「衝立船戸神」と呼ばれている。

現在は、出雲大社の東方にある「出雲井神社」に、
「久那戸(くなと)大神」として祀られている。

「出雲神族」の末裔で、一子相伝の「口伝」により古代の歴史を伝えてきた
「富(とみ)氏」の伝承がある。(参考文献・・・「謎の出雲帝国」 ほか)

その伝承によると、その「出雲神族」は、
東北方面から出雲に移住してきたということである。

なかでも注目すべき口伝に、
『我々の大祖先は、「クナト(岐神)」の大首長だが、
もうひとつの隠された女首長に「アラハバキ(荒吐神)」があり、
体制側に よってこれらが抹殺されようとしたとき、
「クナト」は「地蔵」に、「アラハバキ」は「弁才天」へと変身した。』とあるそうだ。

135212029454913211203_2012_1104P71000060道祖神

この東北の神として聞こえた「アラハバキ」は「遮光器土偶」がその神を象ったものとされ、
その土偶が女性の特徴を強調していることからも女神と認識されている。
ちなみに、アイヌの話によると、アイヌの古語で「クナト」は「男根」、
「アラハバキ」は「女陰」の意味で、本来は一対のものだったということである。
http://plaza.rakuten.co.jp/opektal/diary/200807070000/
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出雲の本当の神クナトの正体              
出雲の神は大国主神とされる以前はクナト神と呼ばれていた。
イザナギの杖に与えられた名である。
来名戸神の名は何処かから来た名であることを示しているし、
船戸=船渡であり、船で渡って来た神であることを示唆している。

『古事記』のイザナギ・イザナミの二神による神々の生成で、大事忍男神を産んだ後に、
石巣彦と石巣姫を産んでいるが、「石巣」はエジプトの「イシス」女神のことである。
大事忍男神の「忍(オシ)」がイシス女神の夫のオシリスの「オシ」を示している。

ク ナト神の名は、エジプトのアテン神信仰を始めた
イクナートン王の名の中央「クナート」である。
イクナートン王はアクエンアテンとも称され、
モーセによってヤーウェ神がユダヤ民族の唯一の神になる以前に
エジプトで唯一神アテンになった。それを決定した王がイクナートンである。

ユダヤ民族によるヤーウェ信仰はこのアテン神信仰がモデルとなった。
アテン神信仰はイクナートン王 と王族だけが名を呼ぶことが許され、
庶民はアテン神の代わりに、イクナートン王を崇拝させられた。
ようするに、アテン神=イクナートン王ということになる。イクナートン王が死んだ後、
猛烈なアテン信者狩りが行われ、アテン神信仰者(イクナートン崇拝者)は
ナイル河のデルタ地帯に落ち延びて、ユダヤ民族と合流して、
モーセのヤーウェ神信仰の礎となった。

イクナートン王の祖母も母も妃もエジプト人ではなくフルリ人の国である
ミタン ニ王国から嫁いで来た王女や神官の娘であった。
フルリ人は元々アララト山の山麓のウラルトゥ地方に住んでいた民族で、
ノアからアブラハムの父のテラに至るまでの九代にわたって、
フルリ人の娘を娶っていたのであるから、
ユダヤ人はフルリ人と同一民族と言っても過言ではない。

イクナートン王の一族もエジプト人というよりもフルリ人であり、
ユダヤ民族と祖をひとつにしていたのである。
アブラハムが妻のことを妹サラと呼び、イザナギが妹イザナミと呼んだのも、
フルリ人の習慣が妻のことを妹と呼ぶことに起因している。

出雲の神宝は石上神宮に祀られたが、石上神宮の神はフルの御魂とも言われる。
このフルがフルリ人のことを指しているのであるから、
クナト神=イクナートン 王=フルリ人=フルの御魂の等式が成り立つ。

さらにイザナギが投げつけた杖は、モーセの兄のアロンの杖を暗示してさえいる。
http://www.geocities.jp/roro2734/izumokunato.html
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さて、境外のそのまた東方にあるはずの聖域へと急ぐ。
前夜のホテルで調べはついていた。
「真名井の清水」の先にあるのは境外摂社の「出雲井社」。

a0300530_10594636出雲井神社

徒歩15分。その社は宇伽山の麓、朝日射す竹薮の西に佇んでいた。
祭神は岐神。クナトの神。背後に回ると巨大な磐座がある。

クナトの神とは、『日本書紀』では、黄泉津平坂(よもつひらさか)
で、イザナミから逃げ去るイザナギが、投げた杖から出た神。
また『古事記』では、イザナギの禊の場面に登場する。
こちらも杖から衝立船戸神(つきたつふなとのかみ)として化生した。
つまり記紀神話においては、イザナギ・イザナミ大神の長男であられる。

『謎の出雲帝国』
副題は『天孫一族に抹殺された出雲神族の怒り』。

この本に綴られた富家の伝承をまとめると……。
・富家はこの出雲井社で、代々の口承を語り継いだ。
・クナトの神は出雲王朝の始祖、真の大国主である。
・クナトの大神は五十七代にわたって存在した。
・出雲神族は、紀元前2500年頃(後期縄文時代)シュメールから渡来した。
・出雲神族は、天孫族と長い闘争の末、帝位を奪われ滅亡した。

・“国譲り”物語とは2千年前、天孫族の使者・武甕槌命(たけみかずちのみこと)が
 稲佐の浜で矛を突き立て「否、然(いなさ)」と迫った事件。
 大国主は降伏し抗議の自殺をした。
・勾玉を王者の証とした出雲神族は、古墳を造らなかった。
・龍蛇神族は、龍神をトーテムとする龍蛇族である。

・スサノオ率いるスサ族(牛族)は、紀元前2000年にメソポタミア~朝鮮経由で渡来。
・ヤマタノ大蛇退治は、牛族対龍蛇族の宗教(トーテム)戦争だった。
・元来、出雲神族の紋章は「亀甲に並び矛」。花菱(菊花)は牛族の紋章。
・出雲族は毎年10月、各地の首長(カミ)が出雲に集まり、
その年の収穫物の分配について話し合った。

吉田氏の別著『謎の弁才天女』によれば、
富さんが亡くなる数日前に遺した言葉があるという。曰く、
「我々の大祖先はクナトの大首長(おおかみ)、そして女首長はアラハバキ。
体制側によって祖先が抹殺されようとしたとき、
クナトは地蔵に、アラハバキは弁才天に変身した」

web_090502-124639同祖

稲佐浜の弁天島に弁才天=アラハバキを祀ったのは、
滅亡を余儀なくされた出雲族の末裔か。
http://mintun.exblog.jp/18992883
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ほと が アラハバキなら 淡路島の 古代ユダヤの御宝 「ほと石」 も
アラハバキと関係あるんだろうか?



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