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日月神事・亜流

日月神示の亜流・自称続編が時々出ている・・。極少ながら、その中には日月神示の神様の一柱が日月神示の補足説明文として降ろされたものも数点あるようだ。

だが、中には話にもならない、狐狸の霊が憑いて書かされてるのやら、はたまた日月神示に憧れて、似せた文章を人為的に書いてるような文章もよく見られる・・・。

ひどいのになると、媒介伝達者の岡本天明の生まれ変わりとか言ってる者までいるようだ。
その方の自動書記される「似非・日月神示」の内容たるや、話にもならないほどお粗末だったりすることがある。
天明氏の絵画の壮絶壮大さといったら、専門家の間でも、極上の絵画として定評があるのだが、もしその生まれ変わりの方が、音楽や絵画を嗜んでいるとしたら、よほどの作品群だと思うので、一度見て聞いて、感動してみたいものである。


そもそも日月神示の根幹部分は上つ巻~海の巻(全23巻)で、先走りの7巻の大本で出された、「伊都能売神諭(いづのめしんゆ)」と合わせて30巻で、構成されている。


天明氏の後を引き継いだ三典氏らの主流派ですら、処世術的日月神示(黄金の巻~冬の巻)の7巻を伊都能売神諭の代わりとし、合わせて30巻とか発表している。さらに五十黙示録とかも続編にして、全部で38巻です、とか言っているようだ・・・。

霊媒というのは不安定なもので、ちょっと我意が入ったり、体調によって、懸かってくる神霊が刻々変化してくる。だからこそ、日本の霊媒伝達法には昔からサニワ(審判者)という判断する人が常に同伴されて来た。霊的感応力の高い人はこの点に十分注意すべきである。

特に自分から自動書記に憧れたり、霊的感応を霊的知識を持たずに求めるのは、はなはだ危険である。現代は次元上昇直前なので、邪神、邪霊系は正神界の浄化神力により、時々刻々と、あぶりだされ、感応する人体を、主義主張、ストレスのはけ口として、常に求めている。岡本天明氏クラスの霊媒でさえ、神様から「我意をいれるな、神かかれんぞ、」と、たびたび注意されていたのも、訓戒としてしっかり我々は記憶、肝に刻み付けておく必要がある。

本来の日月神示(伊都能売神諭)の内容とは、現代人には解読しづらい表現や、予言も含め、世界のありよう、神界、幽界、現界-過去、現在、未来-守護神、守護霊から神も含む人郡万類の、本質的な生きる心構え、気魂、魂の向上の為の「大いなる教本的感覚」の強い文体であり、ちょろこい、ちんまいものでなく、世界的、超ワールドワイドな教えである。聖書や、仏典にも勝るとも決して劣らない程の意味、意義、今後の人類の進むべき指針、ガイドになりうべき、一大神書である。

亜流になればなるほど、文体が「せこく」なってきているところで、違いがわかるのだが、黄金の巻~冬の巻ですら、最早、「処世術敵・色彩」がかなり濃くなってきている。その分、現代人には読みやすい、受け入れやすい文とも言える。

とっつきやすい文体であるだけに、皆そっちの方を読み出して、根幹の日月神示23巻を見なくなってるとしたら、「亜流、自称続編」を世間に敷衍している人々は、厳しくいえば神業(神様の世界経綸)妨害に当たるのではないか。

解説本や「処世術的補足神示」は「日月神示23巻」に導くための書である場合に限って、存在を許される気がする。

三千年(無限なほど長い時の意)も艮に押し込められていた、
地球大地の親神「国常立の尊(クニトコタチノミコト)」
の大神示である。

日の神と月の神と地球の神様の深い深い愛情と神ワザによって、地球の全生命は生かされている。2013年にアセンションが来るといわれているが、その根本原因が日月神示23巻には書かれている。
また、対処法(御魂磨き=生まれたばかりの赤子くらいの純粋な精神を、常に持ち続けるための生行)も書かれている。

どうしたら、今生だけで、成功するとか、近隣と仲良くできるだとかの、せこい話は出てこない。出てきても、生命の本質は霊であり、いかに霊や魂をきれいに浄化するかの為の、現界修行の方法として、表現されているくらいである。

大峠に近づく末世末法になればなるほど、低級霊、エセ預言者、金儲け宗教、妄言、妖言者は増えてくるといわれている。正神を追い続け、常にピュアな心に立ち返る訓練をしている人はおのずと判別能力は上がってくるものである。

同一想念上の幽界(邪心界)が感応してくるそうである。特に感能力の高い女性は、少しスピリチュアルでござい、何が見える、かにが聞こえる、有名である、予言ができるとかに、コロッと引っかかる人が多く見られるので、よくよく注意が必要である。


日月神示   海の巻  第十九帖(最終帖)  (511)

耳に一二三聞かするぞ、愈々耳に聞かす時ざぞ。それぞれ人に応じて時によって口から耳に肚から肚に知らしてくれよ、あなさやけ、あなすがすがし、岩戸開けたり。二十三巻で此の方の神示の終わり、終わりの終わりぞ。後(さき)の七巻は他から出してあるのざぞ、いづれ判りて来るぞ、合わせて三十の巻、それが一つの節ざぞ、天明御身(みみ)に聞かすぞ、よきにはからへ、この行なかなかざぞ。八月二十三日、ひつ九のかみ神示これまで。

二十三巻で「此の方の神示の終わり、終わりの終わり」
のところには丁寧にも注意喚起の点までうってあるのに・・・。

感じてもらうとわかるんだけど、現代に使われていない表現、口調だから、なれないと、読みづらい、意味がとりづらいということの裏に、十回も音読してもらうとわかると思うんだけど、韻律、音の余韻、響きの連なり、いわゆるコトタマの流れなどが、全く非の打ち所の無いほど、きれいなんです。それと、軽く扱えない荘厳な重さが伝わってくると思う。

音読するだけで、発声者の周囲の霊的空間を浄化していくといわれる所以がここにあると思います。下手なタイマン撃破の除霊屋なぞの百倍の強さと細密さとスピードで、浄霊するといわれます。読者研究者諸氏は、よくよく吟味比較検討すべきかと思います。

うーん。神示からむと、つい文調がヘビーになってしまうな・・・。ま、いいか・・。
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